トップ > オリジナルコラム一覧 > 氷川竜介の【アニメ重箱の隅】(現在位置)
アニメの録画を楽しむのは当たり前……。これもある世代以後の話である。好きなアニメは高画質でこそ鑑賞したい。これさえも、すでに過去のもの? アニメ録画に起きかけている変革の一端を探る。
ある統計をみたところ、2009年の12月……つまり昨年暮れの年末商戦から薄型テレビとBDレコーダーの売上げが急増しているという。前月比で1.5倍以上は増加したように見えるので、いよいよ高画質機器の本格的な普及期が到来したように感じた。
事実、オリコンの統計によれば、ブルーレイの09年売上総量の59.8%がアニメだったという。音楽全部と洋画・邦画すべて合わせた数の約6割がアニメなのだ。2010年はマイケル・ジャクソンの『This is IT』が初速で26万枚以上を売り上げたため、比率は大きく変わるとは思うが、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』と『サマーウォーズ』、さらには『風の谷のナウシカ』のBD化も控えているため、最終的にどうなるか楽しみである。
依然としてアニメファンが「高画質機器」の需要を喚起していることは、変わりはなさそうだ。筆者も初めて録画機器(ベータマックスのビデオテープデッキ)を買った1978年以来、32年間の永きにわたってその時々の最先端機器を買ってきた。EDベータやSVHS、レーザーディスクにDVDにしても、そうした「より高い画質」へのアニメファン欲求が具現化したものと言える。結局、ブルーレイにも手を出してしまった始末である。
その一方でこの2010年の動向をみると、実はより多くのユーザーに波及し、興味を惹いているのはネットによる配信なのかもしれないと思うこともある。その簡便さもあって、高画質化やひいては「パッケージでコンテンツを届ける時代」そのものに、「そろそろ限界」と感じている方も少なくないだろう。実際、筆者にしてもときどき「自分はこのハイスペックについていけてるのかなー」と不安になることがあるくらいだ。
明らかに録画の画質へのこだわりは、社会トータルでは減じている。原因を冷静に分類してみると、実に多岐にわたる。1)作品が多すぎ(高画質より圧縮優先、ないし保存しない) 2)メディアがあまりにも早く入れ替わり過ぎ(DVDからBDへは実感で10年割っている) 3)技術要件の難易度が高すぎ(HD時代の高画質要件を正確に理解している人間はプロでも少ない) 4)デジタル化で画質底上げ(SD画質でもそこそこ楽しめる) 5)世相が高品質より価格破壊へ(景気の問題) ざっと思いつきであげても、これだけの要因が複合している。
特に大きな問題は、3番と4番である。かつてのアニメファンは市販品のデッキを自分で開き、部品をチューンして高解像度に改造するほどマニアックだった(筆者もやった)。レーザーディスクの原理、あるいはCAVだと内周と外周で画質が異なるなど、技術的な優劣もスラスラと説明できた。
だが、DVD以後は完全デジタル化によってブラックボックス化してしまった。その延長にあるブルーレイは、さらに技術要件が理解しにくい。たとえば「ブルーレイで地上波デジタルを録画すれば、商品は不要」という理解が間違っていたりする。メーカーで売るブルーレイは(マスターにより)フィルムと同じ24Pの最高画質であり、音声は可逆圧縮でマスターと同一である。しかし、放送された場合は原理的に最高画質にはなり得ず、音のレートもかなり低い。放送の録画からは、原理的に売り物と同品質のブルーレイは焼けない。なぜそれに気づきにくいかと言えば、HDが従来のSDよりも飛躍的に高画質なため、HD同士の比較以前に「前よりきれいだ」という印象論が先にたつからである。
このように高画質時代の本質、その理解や把握には明らかに限界が来ているのだ。その傾向が、1番、2番、5番を加速して負のスパイラルが訪れているのかもしれない。それが「録画」「パッケージ」の相対価値を落としているとしたら残念である。
思い返してみれば、古参のアニメファンは録画が可能になる以前に「駅・バス停から全力ダッシュで帰宅」という体験を、何度となくやったはずだ。そうして目にしたアニメは懸命に鑑賞しないと、その場で消えてしまうものだった。だからこそ動体視力も鍛えられたし、作画の個性を見分けることから始まる「アニメを隅々まで楽しむ」というクセが身についた。そもそもアニメは「ハードとソフトが連動した芸術」なので、どのレベルの何質を語ってるのか、峻別するためにはそれぐらい肉迫する努力と根性が必要だった。
だからビデオデッキが出たとき、「録画しないと次にいつ見られるかわからない」と危機感を覚えたアニメファンが普及を牽引した。それがビデオグラム時代の全盛期(2006年あたりがピーク)を経て「録画してもソフトを買っても、次はいつ見るかわからない時代」となった。それどころか、「ネットにあるからいいや」と録画行為そのものが消滅しかかっている。
ネットの存在によってコンテンツが丸裸にされ、物質から離れて純化するこの動きは止めようがないだろう。だが、「コンテンツを鑑賞する」ということが「脳への刺激」である以上、身体を動かす体験性もまた「脳への浸透度」とおおいに関係するはずだ。
高画質化と簡易なネット消費……あらたな二極へと歩み出す前に、一回立ち止まってこうしたことを、たまには考えてみたいものである。
事実、オリコンの統計によれば、ブルーレイの09年売上総量の59.8%がアニメだったという。音楽全部と洋画・邦画すべて合わせた数の約6割がアニメなのだ。2010年はマイケル・ジャクソンの『This is IT』が初速で26万枚以上を売り上げたため、比率は大きく変わるとは思うが、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』と『サマーウォーズ』、さらには『風の谷のナウシカ』のBD化も控えているため、最終的にどうなるか楽しみである。
依然としてアニメファンが「高画質機器」の需要を喚起していることは、変わりはなさそうだ。筆者も初めて録画機器(ベータマックスのビデオテープデッキ)を買った1978年以来、32年間の永きにわたってその時々の最先端機器を買ってきた。EDベータやSVHS、レーザーディスクにDVDにしても、そうした「より高い画質」へのアニメファン欲求が具現化したものと言える。結局、ブルーレイにも手を出してしまった始末である。
その一方でこの2010年の動向をみると、実はより多くのユーザーに波及し、興味を惹いているのはネットによる配信なのかもしれないと思うこともある。その簡便さもあって、高画質化やひいては「パッケージでコンテンツを届ける時代」そのものに、「そろそろ限界」と感じている方も少なくないだろう。実際、筆者にしてもときどき「自分はこのハイスペックについていけてるのかなー」と不安になることがあるくらいだ。
明らかに録画の画質へのこだわりは、社会トータルでは減じている。原因を冷静に分類してみると、実に多岐にわたる。1)作品が多すぎ(高画質より圧縮優先、ないし保存しない) 2)メディアがあまりにも早く入れ替わり過ぎ(DVDからBDへは実感で10年割っている) 3)技術要件の難易度が高すぎ(HD時代の高画質要件を正確に理解している人間はプロでも少ない) 4)デジタル化で画質底上げ(SD画質でもそこそこ楽しめる) 5)世相が高品質より価格破壊へ(景気の問題) ざっと思いつきであげても、これだけの要因が複合している。
特に大きな問題は、3番と4番である。かつてのアニメファンは市販品のデッキを自分で開き、部品をチューンして高解像度に改造するほどマニアックだった(筆者もやった)。レーザーディスクの原理、あるいはCAVだと内周と外周で画質が異なるなど、技術的な優劣もスラスラと説明できた。
だが、DVD以後は完全デジタル化によってブラックボックス化してしまった。その延長にあるブルーレイは、さらに技術要件が理解しにくい。たとえば「ブルーレイで地上波デジタルを録画すれば、商品は不要」という理解が間違っていたりする。メーカーで売るブルーレイは(マスターにより)フィルムと同じ24Pの最高画質であり、音声は可逆圧縮でマスターと同一である。しかし、放送された場合は原理的に最高画質にはなり得ず、音のレートもかなり低い。放送の録画からは、原理的に売り物と同品質のブルーレイは焼けない。なぜそれに気づきにくいかと言えば、HDが従来のSDよりも飛躍的に高画質なため、HD同士の比較以前に「前よりきれいだ」という印象論が先にたつからである。
このように高画質時代の本質、その理解や把握には明らかに限界が来ているのだ。その傾向が、1番、2番、5番を加速して負のスパイラルが訪れているのかもしれない。それが「録画」「パッケージ」の相対価値を落としているとしたら残念である。
思い返してみれば、古参のアニメファンは録画が可能になる以前に「駅・バス停から全力ダッシュで帰宅」という体験を、何度となくやったはずだ。そうして目にしたアニメは懸命に鑑賞しないと、その場で消えてしまうものだった。だからこそ動体視力も鍛えられたし、作画の個性を見分けることから始まる「アニメを隅々まで楽しむ」というクセが身についた。そもそもアニメは「ハードとソフトが連動した芸術」なので、どのレベルの何質を語ってるのか、峻別するためにはそれぐらい肉迫する努力と根性が必要だった。
だからビデオデッキが出たとき、「録画しないと次にいつ見られるかわからない」と危機感を覚えたアニメファンが普及を牽引した。それがビデオグラム時代の全盛期(2006年あたりがピーク)を経て「録画してもソフトを買っても、次はいつ見るかわからない時代」となった。それどころか、「ネットにあるからいいや」と録画行為そのものが消滅しかかっている。
ネットの存在によってコンテンツが丸裸にされ、物質から離れて純化するこの動きは止めようがないだろう。だが、「コンテンツを鑑賞する」ということが「脳への刺激」である以上、身体を動かす体験性もまた「脳への浸透度」とおおいに関係するはずだ。
高画質化と簡易なネット消費……あらたな二極へと歩み出す前に、一回立ち止まってこうしたことを、たまには考えてみたいものである。



