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トップオリジナルコラム一覧 氷川竜介の【アニメ重箱の隅】(現在位置)


このコラムもいよいよ最終回。
アニメを楽しむために、どうして「重箱の隅」へのこだわりが必要なのだろうか。
もう一度、確認してみたい。アニメをもっと好きでい続けるために……。

 気のむくまま書かせていただいたこのコラムも、今回で最終回。気がつくと3年近くも続いていた。その間に、いろんな変化があった。

 もっとも大きな変化と言えば、HD時代、ブルーレイ時代の到来で、そんな明るい話題とは裏腹に、厳しい結果が続いているビデオグラム市場だろう。実はすでにアニメやDVDの問題ではなく、マスコミで報道されているように物販市場そのものがシュリンクし続けている。つまらないアニメだから売れないという以前に、世の中で物欲自体が減じていて、広告収入減による出版・放送のマスコミ不況もその一部に位置づけられる。
 それは世の中の流れである。インターネット時代から10数年で動画も含めてすべてがデジタル化されて流通し、「情報化社会」が真の意味で完成に近づいた。しかもインターネットが「無料」であることから、現在では「フリー」が最新キーワードとなっている。

 アニメ産業でDVDセールスを基本としたビジネスを危機に追い込んでいるのも、世の中の流れで起きていること。ましてやアニメの「感動」より「情報量」を優先した瞬間、その価値はフリー社会による大暴落に巻き込まれ、危機を迎えるはずだ。

 日本のアニメはどうなっていくのかと言えば、産業的な展望は決して明るくはない。
 筆者が最近よく引き合いに出すのが、1963年に『鉄腕アトム』が初めて30分シリーズのTVアニメを実現したときの状況である。当時も毎週のTV番組としてアニメーション制作を始めるのは「無理」と言われてきた。アニメが徹底した消耗戦によって成立している表現様式だという構造によるものだ。数コマ、数秒単位で映っては消えていく「画」にかかるコストは莫大であり、単純な費用のみならず熟練した人的資源を大量に必要とする。それは無償のTV放送では支えきれないとされていたのだ。その不可能を可能としたのは、マーチャンダイジングというビジネスの仕組であった。

 それから47年が過ぎているのである。「コンドラチェフの波」と呼ばれるものがある。半世紀=50年の周期で大きな波のような循環が訪れるという説である。この「長期波動」に産業も経済も企業も文明もさらされ、勃興しては衰退する。ちょうどTVアニメの成立を可能とした商業的な事情も一巡し、この波にさらされているのかもしれない。

 そんな諸々を念頭においた結果、筆者は「アニメを毎週作ってタダでTV放送することは、もともと無理だった。無理を解消する条件が消えれば、元の状態に戻るのは道理」と考えている。これは衰退していいと思っているわけではない。根拠のない希望を抱くよりは、クールに認識をすることも必要だろうという話だ。

 「DVDを売るために深夜枠でTV放送」という製作委員会主導のビジネススキームにしたがってアニメ作品が大量にあった時期も、すでにして峠を過ぎたと誰もが感じるところ。その時期、アニメを観るひとの意識の多くは「ユーザー」「消費者」だったはずだ。それはビジネスありきの話なのだから、もしアニメ作品の数が絞りこまれてしまったら、もう一度「感動」から始め直せばいい。作品を愛する「ファン」が中心になり、気持ちの面からアニメのあり方を支え直してみるのは、そんなに悪いことではないと思う。

 筆者のようなテレビアニメ第一世代は、もともとそんな風にして、誰かに頼まれたわけでもないのにアニメを愛するところから始めた。気持ちの面でサポートする行為が、たまたまさまざまなビジネスと結びついて、隆盛となったに過ぎない。そしてアニメがどんな状況になろうとも、いつもクリエイターが心血を注いだひとつひとつの画面を注視し、それを正確に運ぶさまざまなメディアの特性にこだわってきた。

 そうしたディテールは、アニメに関心のないひとからすれば、まさに「重箱の隅」だったに違いない。しかし、自分にとってはアニメをアニメたらしめるうえで、かけがえのない「重箱の隅」なのである。

 すべてが「人の手のつくったもの」であるアニメは、すべて人肌のする「重箱の隅」が積み重なってできている。それをどんな気持ちで見つめ続けてきたか、もう一度思い出す時期が来たのだろう。そうすることで、この先のアニメとの楽しいつきあい方もまた、新鮮な気持ちで発見することができるのではないだろうか。

【完】

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